PROFILE

  サード・ライフは終の棲家  祖国日本・長崎の地に・・・「可楽孤老=カラコロ」の始まり
2016年5月 帰国
長崎県諫早市森山町唐比東(カラコ)

橘湾に向かい 名のどおり森と山の風の谷
バスは1時間に1本 夕方6時には最終
最寄はセブン500m、裏の森には猪が生息
そんな鄙でも〒も宅急便もちゃんと来る。
水道・電気・LPガス、公共下水道も完備
やっぱり日本のインフラは世界一!
  また一つ歳を重ねいよいよ七十の大台突入。 20年に喃々とした
 第二の人生=バンコク・セカンド・ライフ=早隠居も、遂に2016年5月で終止符を打ちました。
 第三の人生=サード・ライフ=余生は、故国で人生の終焉を迎えるべく本帰国いたしました。
  隠居の趣味から始まった電動RC飛行機作りのホビー・ライフも十余年を数え、永きに渡り
 多くの方々から賜りましたご信頼とご厚情に心より感謝御礼申し上げます。
 日本でのサード・ライフも、転居以来早二年ようやく住人らしくなって、
 またまた引きこもり孤老の暮らし、製作没頭の日々となりました。
 いまだ無病息災の幸せをお天道様に感謝しつつ、目と手が使える限り果てしなき夢追い人生、
 皆様方には倍旧のご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

                     平成三十年 西暦2018年 五月 
                      久留庵便 SiSan 改め 可楽孤老(カラコロ) 爺 

*** 今は早や 追憶と見果てぬ夢となってしまった バンコク20年のセカンド・ライフ ***
安穏のセカンドライフ 根を下ろしたバンコクの棲み家
呼名:  Si San
年齢:  1948年(昭和23年)1月生れ。 血液型:典型的B型。
略歴: 
1996年11月  横浜での稼業ホビーショップを閉店後、バンコクへ移住。
1997年まで  ソー・ソー・トー(日泰技術振興協会)タイ語学校生徒として
50の手習いでE−ビザ生活1年。
1997年 暮  エカマイに転居、自己会社設立。タウンハウス暮らし。
1999年 夏  ラチャダピセクの戸建てに転居。
2001年 春  招聘によりタイ最大手模型飛行機生産輸出企業?にQAとして就職。
 カビンブリの田舎で独り暮らし。
2001年 夏 1ヶ月半で退職。タイ地場企業のあきれた実態を知る。
2001年 秋 自宅を改装し新規会社を設立(家内のキモノ仕立ての仕事)
2003年 正月 「年金ビザ」取得、はれて事実上隠居?となる。
2004年 春 試行錯誤で自作電動RC機 受注製作開始
2009年 1月 「還暦」の大台に、正真正銘 年金暮らしの貧乏隠居となる。
2011年10月 50年に一度と言うバンコク大洪水 家の2階で篭城2週間
在タイ19年目、過去に飛ばしては壊し、創ったRC機数知れず。現在も小型で手軽な電動スケール機つくりに没頭。
歳とともに引きこもり状態で、終わることのないライフ・ホビー(ライフ・ワーク?)として今も続行中。
2015年 年末 バンコク・セカンド・ライフ20年目の決断 ついに竜宮城を去る時がやってきた。
2016年 5月11日 帰国 故国でのサード・ライフの始まり 。

  やっぱり 終の棲家は 祖国日本で・・・
 のんびりゆったり暮らしのセカンド・ライフを求めて住みついたバンコク。 しかし 竜宮城にも思える
南国の地も結局安住の地とはなりえなかった。20年目の転機 ついに人生終焉の地を求めて祖国へ・・・
 どんなに親しみ深く 暮らし易くとも、いかに棲み慣れようと 所詮は異国の地。
寄る年波には勝てず、人生の終焉を思うと どうしても限界が見えてきてしまう。まだ身の健康には不安はないが
誰もが痛感する言葉の壁、日常の生活会話に事欠かなくなったとはいえ、やはりネイティブな母国語でない以上
いざというときの意思の疎通の壁は高く厚い。いかに自分の身は自分で守る心意気でも、この歳になってからでは
語学力は高が知れている。
 高等な医療が整っている現在のバンコクとはいえ、保険もなく 《65歳以上を担保する保険も無いではないがベラボウな保険料》 高額な治療費入院費などポンと払える資力もない年金暮らしの隠居には、どうしても安心して人生の終焉を迎えることはできない。 歳が離れた女房の老後を案ずればおいそれと先に逝ってしまうわけにもいかない。 となれば世界最高の社会福祉の整った日本 《我々団塊世代がゴッソリ国の負担になる将来の未通しはますます暗くなってはいるが》 を頼るしか選択肢は無い。
 今年の春頃ふとしたきっかけで地方の住宅事情を見た時、東京一極集中の日本、首都圏で生まれ育った小生には、まるで桁外れの思いも寄らぬ不動産価格に衝撃を受けた。生涯家など持たず自由に住みたいところに棲めばいいなんて開き直っていた強気が音を立てて崩壊した。 幸い家内の生家のある長崎県も同様で、ロングステイのため寝かしている見せ金を叩けば何とかプロレタリアの小生でも手に入れられそうな中古物件が結構あることを知ってしまった。
 以来半年 ネットの虫になって物色した結果、運よく実家の近くの町で我々のニーズに合った格安な家を購入することができ、終の棲家が決まった。

 遂に楽園バンコク・セカンド・ライフの夢は20年で費え去り、新たなサード・ライフ=人生終焉への旅立ちが始まる。
さりとてライフ・ホビーの情熱は未だ消え去らず 残された余生を可能な限り 見果てぬ夢を追い続ける所存。
10年に喃々とする多くの方々のご支持とご信頼に心から感謝御礼申し上げますとともに、日本での余生に於いても
相変わらぬ皆様のご厚情を賜り、ご指導ご鞭撻の程 宜しくお願い申し上げます。 

                           2015年 12月末日  バンコクにて SiSan

のんびり ゆったり 気ままなセカンド・ライフは 微笑みの国? タイランド で
脱日本 海外ロングステイなら なんたってバンコク!  1996年11月から
 2007年団塊世代が一気に年金受給者に・・・お先真っ暗、じじばば増大の日本を離れ、古い習慣や人付き合いにも拘束されず、自由気ままに隠居暮らしを海外でと考えておられる吾人が増えている昨今。事実ここ数年で來タイの団塊族が急増している。日本で退職された方ならどなたでも多少の蓄えはお持ちのはず。その多少の金額がここでは数倍以上の貨幣価値となり、低く抑えられた公共物価とあいまって余裕のある生活が出来るのです。

 タイ政府も金を持ってきて《ここで働いてタイの金を稼がない》隠居暮らしの年寄りを歓迎しており、退職者、年金受給者向けに特別の一年更新ビザを発給している。制限としては、満50歳以上、タイの銀行口座に海外からの定期的年金送金があるか、タイの銀行に80万バーツ(約200万円強)の預金があればOK。ただしタイの銀行に口座開設するにはBビザとワ−クパーミット(就労許可)が必要(もしくはその家族のOビザ)という原則になっている。しかしどこにも抜け道はあるもので、BANGKOK銀行本店ならタイ人保証人がいればノービザ外国人でも口座が開設できる。最近ではリタイアメント・ビザ取得のためというだけでOK!
 信頼できる日本人で年金ビザ取得のコンサルタント会社を経営しているプロフェッショナルもいるので安心して任せられる。でも無知な日本人から金を稼ぐのを目的にしている不逞な日本人もいて、闇相場は2万〜4万とお高い。相談相手選びは充分検討して慎重に。

 どこの国でも同様だが、外国で暮らす以上その国で通じる言葉が重要で最低限の勉強は必要。ただしお金で済ませることが出来る身分の方ならいとも簡単。日本語がわかる女中や運転手を雇えばいいだけ。住み込みメイドで5000B〜程度、日本語も話せて和食も作れて・・・となると一気に跳ね上がり一万B以上でもなかなか見つからない。マンションでも戸建でも一切タイ語を話さないで過ごしている人もいる。
 しかし小生のような一般庶民には有り余る金などないから自分で努力するしかない。最初はまったく通じなくて誤解されたり相手にされなかったり、だまされたり(向こうはだます気などなくてもこっちが誤解してるケースがほとんど)もするが、習うより慣れろで時間が解決してくれる。 基本的にタイ人の国民性は穏やかで人には親切という仏教思想なので、こちらがモノをたのむ立場をわきまえて、傲慢な態度などとらなければ、まずトラブルは起きないはず。

 もっとも日本とまったく同様の生活を期待されてはいけません。所詮 文化、生活レベルも未発達の国で住まわせてもらうのですからそれなりの妥協と寛容も必要です。自然の恵み豊かなこの国では農水産物はきわめて安いし、日常の暮らしに事欠くことはない。
バンコク都内に限って言えば、あらゆる日本食品もあるし、BIG-C、ロータス、TOPSといった巨大スーパーが競い合い、町内いたるところに24時間営業のコンビニがあり、生活物資の豊富さ、安さは日本の地方都市よりはるかに進んでいます。
 またインフラの面でも急成長しており、道路、都市交通(BTS高架鉄道は10年過ぎて今では朝夕は満員状態、タイ初の地下鉄も開通から早6年、当初から座るとこがないくらい電車が普及)の進化は目覚しく、電気、上下水道、電話なども整備され日常生活にはまったく支障をきたしません。(停電はたまにありますけど)インターネットは都心部ならADSL24時間接続、団子になってこんがらがって見える電話線でもちゃんと接続できるのが不思議なくらい? 最近は公共WiFiも普及してきた。
 ちなみにタクシー(ほとんどカローラ)初乗り1kmが35バーツ(約100円)、BTS電車が15〜40B、ガソリンはハイオクでリッター30B+(100円程度)、電気代は少々高い、水道代は激安、プロパンボンベは1000円程度で丸一ヶ月も使えてしまう。
 ただし輸入品は、特に贅沢品は100%関税でめちゃ高、日本酒一升5000円なんてのもある。日本食しか食べられない人はそれなりの出費は覚悟しなければならない。しかしこの国の平均的庶民の暮らしが出来る人なら衣食ではほとんど金がかからない。そば一杯30B、食堂でも100B(約300円強)もかからず飯が食えるし、日本人の口に合った料理もけっこうある。なんたって一年中Tシャツ、ゾウリですむんですから。

 気がかりな医療も日本で海外旅行保険(長期滞在でもOK)などの世界的な保険に加入していれば、どんな病気、手術でも心配なし。バンコクの大病院の設備、施設は最先端で、エアコンは勿論、バス・トイレ、テレビ、完全看護つきの高級ホテル並み個室で安心して入院できる。ちなみに入院1日2〜3万Bもするが保険適用大歓迎なのでほとんど無料になってしまう。また街中にはいたるところに薬屋やクリニックがあり、医薬品の安さは桁違い。ちょっとした病気や怪我なら心配なし。ただし症状や使用法などタイ語が話せなくては適正な薬を購入するのは難しい。

 とはいえ手足、身体の自由が利かなくなって本当に老いぼれたときのことを考えると(ピンピン・コロリと理想通りに逝ってくれればいいんだが・・・)、それなりの蓄えと、お寺さんへのタムブン(寄進)や、身の回りの世話をしてくれる人を準備しておかなければならない。 独身の人なら手っ取り早くタイの若い嫁さんを貰ってしまうという手もあるが、その時点で身上一切すべてを渡す覚悟が必要。日本人の金目当てだけに接近してくる不貞なやからもいないではないから、甘い誘惑には十二分の警戒が必要で、絶えず自分の保身を念頭に入れていないととんでもないドツボにはまってしまう。家や車を購入するにも女性名義だから別れるときには一切合切持っていかれる。どんなに善さそうに見える女性でも親兄弟親族一同丸抱えで面倒見るハメに。。。その辺は自己責任で。

 また公共の救急車は無くすべて病院の私有なので最寄りの病院の電話番号なども知っておくほうがいい。慢性渋滞、緊急車両優先なんて道交法・習慣も無いので交通事情からも救急車はまずあてになりません。従って救急病院でビニールチューブだらけになって植物人間数ヶ月数年なんて悲劇は起こりませんが。。。通常の疾病ではなく末期的な病気(脳、心臓など)では自宅の畳の上(ではない。床かベッドか?)で家族に見守られながら極楽往生ということになるのでしょう。生命の尊厳を考えるとはたしてどっちが幸せなのか???

 自然の恵み豊かで米の飯とお天道様の付いて廻る喰うに困らない豊かな国。常夏で冬の極寒に備え蓄えるなんてこともなく、時間に追われて生涯働きつめなくても、ゆったりと時は過ぎまた明日の日は昇る。 こんなライフスタイルが納得できる方なら、きっとこの国の暮らしがお気に召すはず。

 まずは百聞は一見にしかず、元気なうちに Welcome to Thailand !

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